批判的ディスコース分析で有名なフェアクラフ(Fairclough)のcritical language awarenessに関する論文を読みました。

Faircloughは批判的ディスコース分析といったテキスト分析で有名で、日本語に翻訳されている本もあるみたいです。
前回のディスコースに関する記事のときにもちょっと紹介しました。

  • フェアクロー,ノーマン. “言語とパワー.” 貫井孝典ら訳, 大阪教育図書 (2008).
  • フェアクラフ,ノーマン.(2012).『ディスコースを分析する,社会研究のためのテクスト分析』.東京:く
    ろしお出版

今回は彼の以下の論文を読みました。前回記事で紹介したByram and Kramschの論文で引用されていたものです。

  • Fairclough, Norman. “Global Capitalism and Critical Awareness of Language.” Language Awareness 8:2 (1999). 71-83

米英では経済を語るときによく「フレキシビリティ」という言葉が出てくるようです。「フレキシビリティ」という名で失業や劣悪な環境が正当化され得ることも指摘した上で、Faircloughは、現実を表象するのがディスコースなのでなく、ディスコースそのものが現実の一部なのだといい、こういった何気ない言葉に対する意識を高める必要性を述べています。

つまり、「フレキシビリティ」という言葉を使うこと自体が、いわゆる「フレキシビリティ」という働き方等を広めていくための言葉の武器(symbolic weapon)みたいになるということだと思います。

また、現在の社会生活では、テレビ、インターネット、本、雑誌などが人々に多大な影響を及ぼしています。現代の生活はテキストに仲介された(textually-mediated)(Smith 1990)生活であり、その中でディスコースが商品化しているとも言っていました。

広告などでもそうですが、言葉の使い方によって、似た様な商品でもその価値に差異が出たりするので、言葉自体が「商品」として見られている、ということなのかなと私は解釈しました。

こういった現実を踏まえ、Faircloughは教育現場では、コミュニケーションスキルだけでなく、日常の中で使われる言葉について振り返り、批判的に言葉を認識する力(Critical language awareness)を育成する必要があると言っていました。