Blommaert(2005)の「Discourse: a critical introduction」の6章と7章を読みました。

Blommaert (2005)の以下の本を少しずつ読み進めています。

  • Blommaert, Jan. Discourse: A critical introduction. Cambridge University Press, 2005.

今日は6章と7章を読みました。1章から3章についてはこちら、4章と5章についてはこちらをご覧ください。
第6章ではもう少しマクロの視点からディスコースを考察しています。

鍵となる言葉はsimultaneity(同時性)とsynchronisation(共時性)です。

simultaneity(同時性)とは、テキストや発話というのは複数の層・複数の歴史的枠組みに同時に属しているいうことだそうです(layered simultaneity)。

私の理解ですが、例えば今私が書いているこのブログ記事でも、①現在の私の声、②Blommaertの声(10年ほど前の話)、③Blomaertが引用している様々な学者の声(10年以上前の話)と複数の層が交じり合っていると思いますし、内容だけでなくても④日本語を使って書いているという歴史的背景、⑤ディスコース分析の歴史、⑥インターネットの発展・歴史などの複数の歴史的枠組みにも関係しています。つまり、ディスコースには複数の時間・歴史等が含まれていることをsimultaneityと読んでいるのだと思います(たぶん)。discourse on historyとBlommaertはいっていました。

また、synchronisationというのは、上記のように1つのディスコースも枠組みに属していて、また同じ現象でも時・場所によって捉えられ方も変わってくるのですが、その中から特定のものを取り出し、1つの層にまとめあげることをいうそうです。例えば、悪口をいうときに「あのとき○○さんはXXをして、あのときはXXをして・・・」とあげつらうことがありますが、それも様々な事象の中から(その事象もいろいろな捉え方がされるにもかかわらず)「悪い」という側面だけを取り出し、1つの話としてまとめ上げているということだと思います。

Blommaertはこれをdiscourse from historyといっています。政治などの権力(power)がかかわる場面でよく使われる戦略でもあるといっていました。歴史を語るときも「被害者」「正義」などあると特定の視点でよく描かれることがありますが、これもsynchronizationの例だと思います。

 

第7章はイデオロギーについてでした。

イデオロギーは、全体主義、共産主義、資本主義などある特定のことを指す場合と、そうではなくて、ある社会・政治システム全体を指す一般的事象として使われる場合があるそうです。

日本で教育を受けた人だと、「地球はビックバンから始まって・・・」と考える人が少なからずいるかと思いますが、後者の場合だとこういう考えもイデオロギーの枠組みの1つとなります。

また、イデオロギーには認知的な視点からの研究と、物理的・習慣的な視点からの研究があるみたいです。認知的な考え方だと、イデオロギーが人の態度を形成・管理・監視していくという面などに注目し、物理的・習慣的だと、メディアや教育機関によってイデオロギーがどう再生産されるかなどに注目しているみたいです。

また、イデオロギーのプロセスでは「こうしなければならない」といったような「強制(coercion)」が働くといっています。なので、別に心の中ではそう思っていなくても、イデオロギーに従った行動をすることもあるそうです。例としては、グリンピースを支援し、緑の党に投票する人が、民間の多国籍企業に就職口を探すというのもあり得ると言っていました。

indexicality(つまりある現象が、言葉の表面的な意味以外の、他の現象を指し示すもの)とイデオロギーは密接にかかわっているといっていました。というのも、indexicalityによって、言葉の表面的意味だけでなく、社会・文化側面が入り込んでくるからだそうです。(p.172)

他にもベルギーの政党の話などおもしろかったのですが、疲れてきたのでこれで終わります。