人類学者ギアツ(Geertz)のFound in Translationというエッセイを読みました。

ちょっと前から読みたかった人類学者ギアツ(Geertz)のエッセイを図書館から借りてこれたので早速読んでみました。この前紹介したプラット(Pratt)の論文で引用されていて気になっていました(詳しくはこちら)。

ちなみにギアツは厚い記述(thick description)を提唱したことで有名です(詳しくはこちら)。

今回読んだエッセイは以下のものです。

  • Geertz, Clifford (1983) “Found in Translation: of the Moral Geertz, On the Social History Imagination.” Local Knowledge:
    Further Essays in Interpretive Anthropology. New York: Basic. 36-54.

翻訳によって抜け落ちてしまうものを指すときに「Lost in translation」という表現をよく使いますが、それをもじって「found in translation」といっています。

この論文では、まず1880年のDane, L. V. Helmsの文章の長い引用からはじまります。Helmsはデンマーク出身の商人でインドネシアのバリ島を訪れるのですが、その際に生贄の儀式を目にします。3人の女性が生贄として大勢の前で命を落とすのですが、それについて仔細に記述し、複雑な感情を記しています。

その後にギアツは、文芸・ 評論家のトリリング(Trilling)がコロンビア大学の学生にイギリスの小説家ジェーン・オースティンについて教えるのに苦労した話なども例に出します。

これらの例で何が言いたいかというと、HelmsもTrillingも、他者(バリ島の人・コロンビア大の学生)との価値観などが違いから「instabilities(不安定さ)」を感じるですが、それでもなんとか他文化について解釈し、他文化を自文化の社会的枠組みと関連付けながら説明しようとしています。

ギアツは我々は、こういった解釈・注釈することを通して他者を理解するのだといっています。(”we do so not by looking behind the interfering glosses that connect us to it but through them” (p.44))また、こういった解釈のプロセスを通して、我々は他者について完璧に理解できなくとも、ある程度は理解できるとも言っています。

解釈(翻訳)ではすべては伝えられないですが(lost in translation)、解釈(翻訳)により多くが分かる(found in translation)ということなのだと思います。

前紹介したPratt(プラット)(詳しくはこちら)はこういう他者との価値観等の間の「不安定さ(instabilities)」(Prattの言葉ではentanglements)を長期間経ることによって、自らが変容していく可能性についても述べていましたが、ギアツはかなり「自文化」「他文化」ときっちり分けているようです。