Kramsch (1993)の言語教育における文化に関する本を読み直しました①

Kramschは文化教育で幅広く執筆している学者で、彼女については何度かもうこのブログでも紹介しています。

  • Kramsch. C (2000). Teaching language along the cultural faultline, In Lange, Dale L.
    Paige, R. Michael (eds). Culture As the Core: Perspectives on Culture in Second Language Education, p. 19-35

この短い論文では言語教育で「文化」の教授法に関するもので、1990年代以降、「文化」がどう語られてきたかを概観した後、自らの例を出しながら、最後は文化の教え方について提案していました。

まず、言語教育における文化の教授法については以下の4つの立場があるそうです。

  1. 社会コンテクストの中での言語(language in social contexts):社会言語学的な立場で、文化というのは我々が使う言語に反映されているという立場。
  2. 意味の構築の対人的プロセス(interpersonal process of meaning construction):語用論的立場で、文化というのは言語に反映されているだけではなく、他人と会話をしていく中で一緒に作り上げていくものだという立場。
  3. 変化と差異(variation and difference):文化というのは固定したものではなく、また、「国」という文化だけでなく、ジェンダー、社会階層、年齢などその他の違いも見る必要があるという立場。
  4. 考える軸(axes of thinking):人というのは見えない断層(invisible faultline)に沿って考え・行動しているという立場。要するに文化とは人々の「考える軸」となっているという立場。

Kramschは、文化とは、社会象徴的な概念だと言っています。

つまり、現実だけではなくて、その現実に関して様々な媒体を通して語られ、作り上げられてきた「想像」「神話」「ステレオタイプ」も含まれるといっています。

文化を教えるときに、教師というのは少なくともある事象について4つの視点を考えることになるといっています。
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Kramsch. C (2000). p. 25から抜粋

C1は「文化1」でC2は「文化2」です。文化を教えるときは、学生が自文化(「文化1」)・他文化(「文化2」)についてどう認識しているか(上記の図の左の円)、またその文化2において、自文化・他文化がどう認識されているか(上記の図の右の円)を考える必要があるといいます。

Kramschは、ドイツで生まれ育ったアメリカ英語を学ぶドイツ人学習者の場合、アメリカに対する一定のイメージ(perception of C2「C1″」)があり、そういったイメージは、自らの望みやおそれ、夢など自文化そのもののイメージ(perception of C1「C1’」)を色濃く反映するものだといっています(そういったイメージも生まれ育った環境や世代で異なるとKramschは言っています)。ですが、アメリカでは、そういったイメージで自らが見られていると意識していない場合が多く、また、アメリカには、アメリカのドイツに対するイメージがあり(perception of C2「C2″」)、それは自らのイメージ(perception of C2「C2’」)と密接に関わっているといいます。

それを踏まえて文化の教え方について提唱していましたが、長くなったのでまた明日にします。