言語学習者の主観性に関する論文を読みました。

この前の記事でも書きましたが(詳しくはこちら)、「断り方」「ほめ方」「要求の仕方」など、一つの正しい答えがあるわけではない語用論をどうクラスで教えるかというのは課題になっています。

それに関連して、今日は以下の本に収録されている論文の一つを読みました。

  • Ishihara, Noriko and Tarone, Elaine (2009) Subjectivity and pragmatic choice in L2 Japanese: Emulating and resisting pragmatic norms in Taguchi, Naoko (Ed.) Pragmatic Competence. Berlin: Mouton.101-128

詳しくは割愛しますが、この論文では、主に3人の学習者の分析を通して、学習者は常に日本語の規範に沿って行動するわけではなく(規範に従う場合も多いですが)、日本語の規範を知りつつもあえてそれには従わない場合があることを指摘し、こういった学習者の主体性を念頭に語用論を教える必要性があるといっていました。

例えば、3人の学習者のうち一人は、上司からの誘いを断るというタスクで、あえて「実は(彼女と)デートがあるんですけど」と言ったそうです。彼は、日本文化では個人的な事情は二の次であり、上司に個人的なことをいうのは不適切だと思っているものの、家族・彼女を大切にすべきという彼の信念に基づき、そのように答えたそうです(ただ、そのタスクでデートがあると上司にすぐには言わなかったりと、複雑な様子も見せていました。)

著者の一人のIshiharaは語用論の教授法についても出版しているようです。

  • Ishihara, Noriko, and Andrew D. Cohen. Teaching and learning pragmatics: Where language and culture meet. Routledge, 2014.

 

これは日本語にも翻訳されているみたいですね。時間があれば今度読んでみたいなと思います。

  • 石原紀子編著・アンドリュー・D・コーエン 著(2015). 多文化理解の語学教育:語用論的指導へ の招待. 研究社