中村桃子(2012)の女ことばと翻訳に関する短い論文を読みました。

中村桃子は女ことばについて幅広く執筆しています(詳しくはこちら)。

  • 中村桃子. 『女ことばと日本語』 岩波書店, 2012.
  • 中村桃子 『翻訳がつくる日本語-ヒロインは 「女ことば」 を話し続ける-』, 白澤社, 2013.

今回はその中村の女ことばの翻訳についての以下の短い論文(日本語)が有難いことに無料で公開されていたので(こちらのウェブサイトからアクセスできます)、読んでみました。

  • 中村桃子(2012). 白人ヒロインが変化させる女ことば ——70年代のアメリカ映画字幕に見る——. 関東学院大学『経済系』252, p. 1-17.

「~だわ」などといった女ことばは日本の女性がほとんど使っていないと最近の研究では言われています(尾崎1997、中島、1997)。ただ、翻訳作品などでは女ことばがよく使われ、女ことばが翻訳の中の女性登場人物によって再生産されているともいわれているようです(Inoue 2003)。

この中村の論文では、翻訳が女ことばを再生産するだけでなく、日本語の変化を先導する役割もしているのではと言っていました。

まず「ベルサイユのばら」などの漫画を分析を通して、「丁寧さ」や「従順さ」を象徴する女ことばが、1970年頃からは悪意や怒り、高飛車な態度を表すのに使われるようになったと指摘しています。(例えば、「白鳥玲子でございます」のヒロインが高飛車な態度で話すときは「あたし~わ、か しら、でよ、の」系の女ことばを使うなどしているそうです)

その理由として、1970年代のアメリカ映画の影響を挙げていました。フェミニズムの影響から、この頃のアメリカ映画には戦う強いヒロインが現れたそうです。このヒロインが女ことばで翻訳されていたことが、「丁寧さ」「従順さ」を示していた女ことばの変化につながった一因なのではないかといっていました。

結論の一つとして、女ことばと白人性についても触れられていました。この点についてはこの前紹介したInoue (2003)(詳しくはこちら)でも触れられていました。

中村の意見は以下のとおりです。

「本稿の分析は,日本人女性の女らしさというものが白人性によって特徴付けられることでその正当性を獲得してきたことを示している。 1970年代のハリウッド映画のヒロインのほとんどは白人だ。女ことばが日本の女らしさが自然にことばに表れたものだと考えられており,しかも,その女ことばが白人女性のせりふの翻訳によって構築,再生産,変革してきたとしたら,日本の女らし さは他国の人種によって特徴付けられてきたと言える。」(p.16)

実は、最近、女ことばと白人性について議論する機会があったのですが、その際に、女ことばと「人種」を結びつけるのは早計なのではないかという意見もありました。非白人でも「女ことば」で翻訳される例も多数あるのではないか、また「階級」などの他の要素を取り上げずに「白人性」だけ取り上げるのは恣意的なのではないかという意見もありました。裏付けるデータがないのでただの仮説にすぎませんが、いつか掘り下げてみたいトピックではありますね。