温又柔の『台湾生まれ 日本語育ち』を読みました。

温又柔について

温又柔の以下の本を読みました。

  • 温又柔(2015)台湾生まれ 日本語育ち. 白水社

 

温又柔は1980年に台湾・台北で台湾人の両親の間に生まれ、その後、3歳で東京に引っ越します。

台湾語・日本語・中国語を混ぜて話す両親(特に母親が話すことばを「ママ語」と呼んでいました)のもと、本人も中国語・台湾語・日本語の中で育ちます。

また、高校から中国語(といっても「台湾の中国語」ではなく、「中国の中国語」)を学び始めるのですが、そこでも台湾の中国語との違いや先生の対応に戸惑いを覚えたりします。

 

継承語学習者としての温又柔?

高校に入って「中国語」を学んだ温又柔は、家系的つながりのある言語を学ぶ学習者という意味で、いわゆる「継承語学習者」の定義にあてはまるのではと思います。

(もちろんこうやって、本人がそう名乗っていないのに勝手にカテゴリー分けすることには問題もありますが…)

 

彼女が持つ悩みや葛藤は、中国語を継承語として学ぶ学習者の複雑さに言及したHe (2006)の論文や、その他継承語学習者のアイデンティ・言語使用を取り扱った論文と共通する点が多々あると思いました。

 

ただ、論文になってしまうと、たとえ学習者自身の声が引用されていたとしても、心に響くということは(私は)ほぼありません。

 

温又柔自身の語りは、文章が生き生きしていて、共感できるところも多々あり、心に響くものがありました。

また、本人が「日本語(ニホンゴ)に住む」と言語を拠り所にするようになった過程はとても興味深かったです。

 

以前読んだリービ英雄のエッセイで、「日本語人」ということばを使っていたのですが、そのことも思い出しました。

 

 

母親の言葉

もう一点、面白いと思ったのは、温又柔のお母さんの言葉です。

温又柔のお母さんは、日本語・中国語・台湾語を「奔放に繋ぎあわせ」て話しているそうで(p. 33)、例えばこういうふうにいうようです。

 

ティア―・リン・レ・講話、キリクァラキリクァラ、ママ、食べられないお菓子。

(あんたたちがペチャクチャしゃべっているのを聞いていると、お菓子を食べそびれちゃう) (p. 33)

 

様々な言語資源を使って生きるという、Translanguagingという用語がありますが、温又柔のお母さんはまさにそれを実践しているのかなと思いました。

 

まとめ

温又柔についてインターネットで調べていたら、彼女の文学は「越境文学」に含まれるみたいですね(例えばこちら)。

本人が戦略的に「越境文学」に分類されることを選んだ可能性もありますが、この本を読んで、彼女はそもそも「越境」というのは何なのかとか、「越境」していない人はいるのかとか、そういった根本的なところに疑問を投げかけているような気がしました。