クリティカル・シンキングは中国や東アジアの学生には馴染まない概念なのか・・という点に関する論文を読みました。

またクリティカル・シンキング(critical thinking)についてです。今回は以下の短い論文を読みました。

  • Jing Tian & Graham David Low (2011) Critical thinking and Chinese university students: a review of the evidence, Language, Culture and Curriculum, 24:1, 61-76

この前も書きましたが、クリティカル・シンキングは西洋(West)の概念と言われることが多く、これが普遍的な概念か否かについては議論が為されています。

特に中国やその他(日本も含む)東アジア文化にはクリティカル・シンキングを重んじておらず、中国やその他東アジアの学生にクリティカル・シンキングはなじまないのではないかと言われることがよくあります。(これに関する研究もいくつかあるようです。)

中国の文化がクリティカル・シンキングにはなじまないという考えに強く反論した論文にMichael Paton (2005)があるようです。Patonは中国(主に中国科学史)に詳しいようで以下のような本にも論文を寄稿しています。

  • Stanton, Andrea L., et al., eds. Cultural Sociology of the Middle East, Asia, and Africa: An Encyclopedia. SAGE Publications, 2012.

 

今回読んだ論文は、「中国やその他(日本も含む)東アジアの学生にクリティカル・シンキングはなじまない」という考えについてはPatonと同じく批判していました。ただ、Paton(2005)の根拠にも批判していました。

この論文によると、Patonの議論のうちの1つに、古代中国の文化ではクリティカル・シンキングの素地があったというものがあったそうです。ただ、今回のJing and Low (2011)は、現在の学生のクリティカル・シンキングについて語るときに、古代中国文化を持ち出すのは根拠として貧弱なのではといい、学生の個々人の過去の学習歴などのほうが影響を及ぼしていると言っていました。