McNamara(2012)の論文を読了。応用言語学における構造主義・ポスト構造主義についてわかりやすくまとめていました。

McNamaraはLanguage testing (言語テスト・評価)のほうで名前を聞く学者です。彼の以下の短い論文を読んでみました。

  • McNamara, Tim. “Poststructuralism and its challenges for applied linguistics.” Applied linguistics (2012).ams055.

Applied Linguisticsというメジャーなジャーナルに「Poststruturalism and its challenges for applied linguistics (ポスト構造主義とその応用言語学への挑戦)」というMcNamara (2012)の短い論文が出ていたので読んでみました。

この論文では、構造主義とポスト構造主義という2つの考え方が学術界で別の流れを生んでいることを指摘し、これに応用言語学はどう対処すればいいか投げかけていました。

構造主義はソシュールの言語学から生まれたもので、言語には語彙・統語構造などの構造があるという考え方です。その後、ヤコブソンによって言語学以外の文学などでも使われるようになり、その後レヴィ=ストロースにも影響を与え人類学でも用いられるようになります。

ポスト構造主義はデリダやフーコーの考えに基づくものです。フーコーのすべての知識のシステムというのはディスコースなのであって、「真実」が存在するのではなくて、幅広く共有され受け入れられたシステムである「真実の体制(truth regime)」が存在するだけなのだと言っています。ポスト構造主義はフェミニズムにも影響を与え、前の記事で書いた、バトラーのようにアイデンティティもディスコース(言説)で構築されているなどという意見も出るようになります。

ブルデューや、ハーバーマス、ハリデーといった学者や、応用言語学のアイデンティティ研究や批判的ディスコース分析などでも、こういったポスト構造主義の学者が頻繁に引用されています。ただ、Pennycookも書いていましたが、彼らは概して社会悪を正すとか、真実の意味を探すとか、「真実の存在」を前提とした、モダニストな考え方に拠っています。ポスト構造主義は、真実も言説で作られたものなのだと考える立場で、こういったモダニストな考え方も批判しているのであって、McNamaraは安易にポスト構造主義を引用するモダニストの学者はその根本的批判を認識していないのではないかと言っていました(p.474)。

また、McNamaraはポスト構造主義の3つのテーマを挙げていました。(p.477-478)

  1. 現在の社会・政治・文化形態等を批判することにより、社会・政治的に関与する。
    2. 真実や言語記号などが変わらないものであるという考えを批判する。
    3. 欲望(desire)の役割や社会構造に存在する不合理性について批判的に認識する。

ポスト構造主義が他の批判的理論と違う点も3点述べていました。(p.478-479)

  1. ポスト構造主義はパワーというものが、社会階級やエスニシティなどの社会構造のカテゴリーにのみあるとは思っていません。パワーは認識のレベルで存在しているといっています。私達はある言説(ことば)を使って、お互いを監視し合い、その言説を自分のものとしています。こういう言説のパワーというのはどこにでもあって、それを特定するのも反対するのも難しいといっています。デリダは社会や文化や、それを表現する言語の奥底にある前提条件のようなものに暴力的なものが潜んでいるといっているそうです。
    私の理解が正しいかは分かりませんが、例えば「奥さん」「旦那」「主人」という言葉自体にジェンダーのイデオロギーが含まれているように、言語自体に既にイデオロギーが含まれていて、それを否定するのは難しいということだと思います。
  2. ポスト構造主義はユートピアンではないので、「進歩」という概念を信じていません。
  3. 全体主義をはじめとする、すべてのシステムに批判的です。

最近結構ポスト構造主義を引用している論文を読んでいたので、こうきれいにまとめてくれるとありがたいです。これを読んで頭の中が少し整理された気がしました。

  • McNamara, Tim (2016). Language and Subjectivity (Trends in Applied Linguistics). Mouton.