Pennycookのポストヒューマニズムにおける応用言語学

今回紹介する論文

Applied Linguistics誌に掲載されていたPennycookの論文を読みました。

  • Pennycook, Alastair. “Posthumanist applied linguistics.” Applied Linguistics 39.4 (2018): 445-461.

 

近代は、いわゆる人間中心主義で、人権などにも象徴されるように、一人一人は「個人」として価値があるいう考えに基づいて成り立っています。

 

ポストヒューマニズムというのは、様々な角度から人間中心主義に疑問を投げかけるものです。

そういえば、ベストセラーになったノラ・ハラリの「ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来」でも、遺伝子操作による人体改造や、人間より高い知識・知能を持つAIの誕生などにより、今までの人間至上主義という価値観が終焉を迎える可能性を指摘していました。

 

応用言語学に対する示唆

応用言語学では、言語能力というのは個人に備わっているもので、個々人が主体性をもって言語を使っているという前提で議論を進めることが多いです。

つまり、あくまで人間中心で物事を考えているといえます。

 

空間レパートリー

Pennycook は個人の能力だけでなく、モノ、空間、そして言語資源の関わりにより生まれるダイナミクスにも着目する必要があるといっています。

 

そして、ポストヒューマニズムを反映する概念の一つとして、「 spatial repertoire(空間レパートリー)」をあげていました。

 

日本語でレパートリーというと、「料理のレパートリーが広い」など個人がカバーする領域というニュアンスで使われることが多いと思います。

 

Pennycookの提唱する空間レパートリーという概念は、「個人」や「コミュニティ」に属しているものではなく、分散しており(distributed )、ある空間において、人やモノとの関わり合いの中で生まれるものです。

 

以下に例をあげて考えてみます(例は私個人が上記論文を参考に考えたものです)

 

空間レパートリーの例①

Facebookでは、オンラインでよく使われる絵文字やgrrrrhなどのオノマトペが使われたり、様々な言語や、様々な地域の動画や写真などが入り混じったりします。

「日本人」である人が、スマホを使って何かを投稿すると、それに対して全然会ったこともない「インド人」が反応してきたりします。

Facebookというオンライン空間で生まれるものすべて(絵文字、言語、動画、写真など)がこのFacebookのレパートリーといえます。

Facebookで生まれる活動というのはFacebookを使っている人や特定のコミュニティに属しているものではなく、Facebookという空間での交流によって生まれているものと考えられます。

 

空間レパートリーの例②

デパートで服を選んでいる場面で、店員と話すとき、その言語行動のみならず、その商品や陳列棚、着ている服、デパートという空間すべてが空間レパートリーになります。

 

従来の応用言語学ではそのやり取りの言語的特徴のみに焦点を当てることが多かったと思います。

ただ、言語行動のみでなく、特に「服」という商品は、その場において非常に重要なレパートリーの一つとなります。この「服」を中心に人間は関わっているのであって、その服の状態によって交わされる会話も変わってきます。

 

つまり、繰り返しになりますが、言語行動というのは単独で存在するのではなくて、デパートという空間で、その商品や店員との関わりの中で生まれてくるものです。

 

空間レパートリーというのは、言語活動だけを取り出して考えるのではなく、モノ、空間、人がどうかかわっているか(その関わりによりどんな言語活動が生まれるかなど)に着目した概念のようです。

 

興味のある方は

今回の論文でも紹介されていたspatial repertoireという概念は、Pennycookの他の本でも紹介されています。

  • Pennycook, Alastair, and Emi Otsuji. Metrolingualism: Language in the city. Routledge, 2015.

↑この本を読むと理解が深まるのではと思います。

 

日本語では、以下の書籍の第2章に、Pennycookと共著している尾辻がレパートリーについての論考を寄稿しています。

  • 細川 英雄 ・ 尾辻 恵美 ・マルチェッラ・マリオッティ (2016)市民性形成とことばの教育 ―母語・第二言語・外国語を超えて. くろしお出版