異文化間ディスコース・コミュニケーションへの批判的アプローチに関するKubota(2012)の論文を読みました。

以下の本に収録されていたKubota (2012)のチャプターを読みました。

  • Kubota, Ryuko (2012) Critical Approaches to Intercultural Discourse and Communication. The Handbook of Intercultural Discourse and Communication. p. 90-109

少し前にも紹介しましたが(詳しくは前回記事)、Kubotaはカナダのブリティッシュ・コロンビア大学の教授で、応用言語学の批判的アプローチで多数執筆しています。

今回の論文も、「文化」という概念がどう語られてきたかや、対照修辞学 (Contrastive Rhetoric)(論理構造のパターンで、よく英語は直接的、東アジア言語は間接的と言われる)の研究成果を概観しながら、異文化間ディスコースやコミュニケーションは、その目的が異文化間理解の促進であったとしても、結果としては文化本質主義や、文化・言語観の不平等な力関係を強化することになることもあると言っていました。

Kubotaによると、文化の違いというのは客観的なものではなくて、社会・歴史的に構築されてきたものだと言い、さらに、こういった文化の違いは、パワー関係とは切っても切り離せないものだといいます。(p.105)また、文化の違いについてのディスコースは人種的な優劣を正当化する要素があるとも言っていました。

「文化の違い」ということばは、上位のグループが自らの優位性を正当化させるときにも、逆にに下位のグループが自らがユニークであることを主張するためにも使われるといっていました。(p.105)