Canagarajahのdisabilityについて考えた動画を視聴しました。

Suresh Canagarajahの講演

Canagarajahはトランスリンガリズム研究で有名な学者です。

Canagarajahは、アメリカ応用言語学学会(AAAL)の2018年の優秀研究者賞を受賞したのですが、そのときの受賞講演を視聴しました。

  • Yet ‘Another Fucking Cancer Diary’: Embracing Language Incompetence and Disability. Distinguished Scholarship and Service Award lecture. 2018年3月26日. Chicago (アクセス日:2020年8月4日)

 

2014年にCanagarajahはガンと診断され、闘病生活を送っていたそうです。

そのときの自分の生活とそれから得た知見を、ユーモアを交えながら話していました。

(ちなみに闘病生活中も仕事をこなし、論文も多数執筆していて精力的です)

 

講演の内容

Canagarajahは自分が体が以前のように動かなくなってから、「disability(能力がない)」、そして「ability(能力)」があるとはどういうことかなど、今まで考えていなかったことを考えるようになったようです。

 

誰かに頼らざるを得ない生活をする中で、社会的ネットワークに自分が身を置いていることや、意味を伝える際に、言語だけでなくPCなどのモノがいかに重要性な役割を果たしているのかなどを大きく感じたそうです。

 

また、コミュニケーションをするときの、聞き手の大切さにも触れていました。

動画の中で出てきた例として、「はい」「いいえ」など限られた語彙しか話せないChilという「障がい者」の例がありました。

 

Chilは目線などを使ってうまくコミュニケーションをとっていたのですが、それはあくまで会話の相手が「理解しよう」「聞こう」という姿勢があるからのことです。

相手が聞こうとしないと、Chilは「コミュニケーションがとれない人」になってしまいますが、相手が聞く姿勢があれば、「コミュニケーションが取れる人」になるといっていました。

 

「能力がある」と私たちがいうとき、個人に備わっているような印象がありますが、こういった例をもとに、それについても疑問を投げかけていました。

 

 

興味のある方は

Canagarajahは数多く執筆しています。

  • Canagarajah, Suresh. Translingual practice: Global Englishes and cosmopolitan relations. Routledge, 2012.

↑この本では、「日本語」や「英語」という確固たる言語があるというような、現在のモノリンガル志向に疑問を投げかけています。

Canagarajahは、何か1つの言語や規範をマスターするのではなくて、自分の持っている言語リソースを使って、コミュニケーションをとれるようにすることを重視しています。

今回の動画ともつながる考え方かなと思います。