Canagarajahのタミルイーラム解放のトラ (LTTE) の支配下時代のスリランカのジャフナでの言語使用に関する論文も読んでみました。

時間があったので、Canagarajahの随分昔(1995)の以下の論文も読んでみました。

  • Canagarajah, Suresh (1995). The Political Economy of Code Choice in a “Revolutionary Society”: Tamil-English Bilingualism in Jaffna, Sri Lanka. Language in Society, 24 (2): 187-212

現在スリランカの公用語はシンハラ語とタミル語の両言語ですが、内戦前には1956年のシンハラ語を唯一の公用語とするシンハラ・オンリー政策や、1972年の新憲法でシンハラ語を唯一の公用語と明記するなど、(勿論、言語のみではなく教育・雇用上でも)多数派のシンハラ人を優遇する政策がすすめられていました。こういった一連の優遇政策が少数派のタミル人の反発を招き、スリランカ北部・東部の分離独立を主張する反政府組織タミルイーラム解放のトラ (LTTE)が設立され、1983年から2009年まで内戦状態にありました。

内戦中、タミル人が多く居住する北部都市ジャフナは1986年、1989年から1995年にタミルイーラム解放のトラ (LTTE) の支配下に置かれていました。今回読んだ論文はそのLTTEの支配下にあった時代のジャフナでの英語・タミル語に関する論文です。論文にも書いていましたが、Canagarajah自身がこのジャフナのタミル人コミュニティの出身らしいですね。

内戦中のジャフナでは、タミル語のみを使用する「タミル・オンリー」の言語政策を推し進めていたらしく、学校での教育言語を「他言語の混ざっていない」タミル語の教材・カリキュラムに代え、以前は三言語(タミル語・英語・シンハラ語)で記載されていた道路標識や看板などをタミル語のみに変更し、英語の借用語を避けるために、工場(toLilakam)、食料店(kaLaiciyam)、ホテル(uNavakam)、アイスクリーム(kuLirkaLi)などのタミル語の新語が作るなどしていたそうです。(p.188)

この一連の言語政策で、英語を使える人の数が減り、タミル語のみのモノリンガリズムに変わりつつあると言われていたそうです。

ただ、Canagarajahはこの論文で、実際の言語使用を見てみると、英語が完全に抑圧されたというわけではないと言っていました。インテリ層や若者などグループ内で英語を多少使う人や、「マッチョ」等ある特定のアイデンティティを誇示するために英語にコードスイッチする人もいたといっています(p.,198)。

また、そもそも英語の語彙はタミル語で幅広く使われており、これを排除するのは難しいと言っていました。例えば、魚屋の会話では、115回のやり取りで、twenty rupee, good, tasty, cheapなど、254個の英語の言葉があったそうです。

「純粋」なタミル語といっていますが、実際はそのすべてに英語が入っており、「他言語の混ざっていない」タミル語を使うというのは逆に非常にまれなことだとCanagarajahは言っています。

今、日本語でも英語の語彙がかなり入ってきており、突然それをすべてなくした「純粋な」日本語を話そうと言っても逆に不自然になってしまうということなのかなと思います。今、インターネットを「電子計算機接続通信回路」、コンピューターを「電子計算機」と言えと言われても、なかなか普段の生活では簡単に実践できそうにはないですね・・・。

  • Canagarajah, Suresh. Translingual practice: Global Englishes and cosmopolitan relations. Routledge, 2012.