消滅危機言語について
非営利のキリスト教系の国際SILという団体が公開しているウェブサイト Ethnologue (エスノローグ)によると、世界にある7168言語のうち、3072言語が消滅危機にあります。
UNESCOの「The World Atlas of Languages」では、8324言語(手話も含む)のうち、7000言語が現在も使用されていますが、そのうち、2698言語が消滅の危機にあると報告されています。
現在、世界各地で消滅危機にある言語を記録したり、復興したりする活動が行われていますが、その際に時折耳にするのが「消滅危機言語を守る必要があるのか」、「みんなが共通の言語を話せたほうが楽なのではないか」という素朴な疑問です。
この素朴な疑問に、イギリスの言語学者であるDavid Crystalが2014年の『Language death』(Cambridge University Press)が答えていたので、紹介します。
共通の言語を話せたほうが楽
まず、整理したほうがいいのは、「みんなが共通の言語が話せたほうが楽なのではないか」という意見と、「消滅危機言語を守る必要はあるのか」という話は別ということです。
コミュニケーションという意味では、共通の言語があったほうが断然楽になります。
英語が世界的なリンガフランカとして使われる場面が多いですが、多くの人が英語が話せるようになることと、他の言語が消滅してもいいということは話が違うということですね。
実際、今の世界では、一人が一つの言語しか話せないわけではなく、レベルの差はあれ、複数の言語を使える人の方が多いです。
Crystalは、「全員が、自分の民族の言語と国際的なリンガフランカ(英語など)の2つ以上の言語を話せるという世界は、実現可能であるし、それは非常に望ましい(p. 14)」とも言っています。
ただ、だからといって消滅言語を守らなくていいというわけにはならないと言ったうえで、以下の5つの理由を挙げています。
消滅危機言語を守る理由5つ
多様性の必要性
一つ目の理由は、多様性の必要性です。
生態系では、様々な生きものが、互いにつながり調和しながら存在しています。生態系の調和が崩れると、生態系全体に影響が及びます。また、複雑で多様な生態系のほうが、環境が変わった場合にも適応しやすいともいわれています。
言語の多様性を守ることは、生態系の多様性を守るのと似ているという意見です。
つまり、人類にとって多様性が必要不可欠なものなら、言語の多様性を守ることも必要なのではということです。
アイデンティティ
2つ目の理由は、言語はその話者のアイデンティティに深く結びついているからというものです。
あるコミュニティへの帰属アイデンティティを形成する要素として、言語は大きな役割を果たします。
言語学者のR.M.W. ディクソンは、「言語はその話し手の象徴(emblem)である」、哲学者のロラン・バルトも「言語は肌(skin)である」といっています(Crystal, p.40)。
それほど、話し手(やコミュニティ)と言語は不可分なものであるということです。
歴史の倉庫
3つ目の理由は、言語というのは歴史の倉庫で、昔からの歴史を数多く受け継いでいるからというものです。
人は、言語で書き記したり、(書き言葉がない言語の場合は)口承により、過去のことを伝えてきました。
言語が消滅してしまうと、その過去へのつながりが切れてしまうことになります。
自分たちの祖先について知りたいというのは、自然な欲求だと思いますが、言語が消滅することで、そこへの直接的なアクセスが途切れてしまうことになります。
現在の人類の知識に貢献する
4つ目は各言語が、人類の存在そのものについても様々なことを教えてくれるからです。
言語を学んだことのある人なら、他の言語を知る中で、新たな知見を得たり、自分の母語について気づきがあったりした人も多いでしょう。
他の言語を通して、自分が今まで考えてもいなかった、人間の存在の捉え方について知り、視野が広がることもあります。また、複数の言語を通して、人類の共通のテーマに気づくきっかけにもなります。
それぞれの言語というのは、このように人類全体の知識に貢献するものですが、言語が消滅すれば、それが失われてしまうことになります。
言語自体が面白い
5つ目の理由は、言語自体が興味深いものだから、人間の言語についてより深い知見を得られるからというものです。
言語学は、人間の言語能力は何かを見極めようとすることを目的としていますが(Crystal, p. 54)、そのためには、数多くの言語の比較・分析等が必要になります。
それぞれの言語が、音韻・文法・語彙体系を持っており、多くの言語を研究すればするほど、言語全般や人間の言語能力についてより包括的に捉えることができます。
参考文献&ご興味のある方は
消滅危機言語を守らなければならない理由5つを、Crystalの本をもとに簡単に紹介しました。詳しく知りたい方はCrystalの原書をご覧ください。
短くて読みやすい本です。今回の記事はこの本の第2章を参考に記載しました。
世界の言語を紹介したEthnologue (エスノローグ)はウェブでも見られますが、書籍も販売されています。最新のものは26版です。
世界の50の少数言語から、「そのことばらしい」単語を絵を添えて紹介しています。それぞれの言語の言語特有の表現から感じることが多いです。