「The space of translation」読了。マヤ語の例から翻訳とは何なのかを考えさせられました。

ユカタン半島マヤについて研究している人類学者のHanks(2014)の論文「The space of translation」が無料でアクセスできたので読んでみました。

  • Hanks, William F. “The space of translation.” HAU: Journal of Ethnographic Theory 4.2 (2014): 17-39. http://www.haujournal.org/index.php/hau/article/view/hau4.2.002/1117

まだ読んでいないですが、以下の本も出していて、この本ではキリスト教の伝来により、マヤ語にスペイン語の新しい概念がたくさん輸入され、マヤの言語・社会がいかにかわっていったかというのを書いているそうです(彼はキリスト教の影響を受けたマヤ語をMaya Reducidoと読んでいます)。

  • Hanks, William F. Converting words: Maya in the age of the cross. Vol. 6. Univ of California Press, 2010.

さて、今回読んだ標題の論文は翻訳についてマヤ語の例を挙げながら話していました。

彼は「翻訳」というのは解釈をする行為であり、いわゆる翻訳といって思い浮かべる言語間の翻訳も、普段するような他者の発言やテキストを解釈する行為全般もプロセスとしては非常に似ていると言っていました。彼によると、こういった要約・コメント・報告等も含む「文化内翻訳」というのは、いわゆる文化間・言語間の翻訳の前提になるものだそうです。

彼によると、翻訳というのは解釈を生み出すもので、逆に、自分で解釈できないものだと翻訳も限られてしまいます。例えば、ハチは蜜源の方向と距離を伝える時にサインを出すと言われていますが、私達の言語ではそれがどういうものか解釈できないため、ハチのサインを翻訳するにはかなりの限定が課されてしまいます。

彼によると、以下の4つはすべて似た行為で、すべて①のメタ言語機能から派生したものだと言っています。

  1. ある単語の意味などを解釈する機能。(例えば「ここ」と言われた時に「ここ」が何を指すかを解釈する機能)(metalinguistic function)
  2. あるテキストを要約・報告・コメントしたりする機能(metalinguistic discourse)
  3. 「目上の人には丁寧に話しなさい」というような言語に関する一般的な自己解釈(self-interpreting capacity)
  4. いわゆる言語間の翻訳(canonical translation)

上記の点を説明するために、マヤ語の例を出して説明していました。

マヤ語ではスペインからキリスト教を受け入れる時に新語がたくさんできたそうです。スペインの方が圧倒的に力関係が上だったので、スペイン語にマヤ語はあまり影響を与えませんでしたが、マヤ語にはスペイン語の言葉が多数流入し、マヤ語はどんどん変わっていきます。

Hanksは翻訳とは、既にあるマヤ語に、スペイン語の新しい概念を解釈していくプロセスであったと言います。例えば、baptismo というスペイン語(洗礼式)はマヤ語ではcaa put çihil(2回誕生)というふうに訳され、もとの「baptismo」という言葉ではわからない、「イエスの復活」という洗礼式もともとの語源を含んだ単語に翻訳されます。また、to baptize(洗礼する)も、enter water(水に入る)という意味の言葉が含まれた新語に訳され、意味が分かりやすくなっています。

Hanksはこういった新語ができるプロセスを「commensuration(均等・つり合い)」と呼んでいました

commensurationには、以下の4つの特徴があるといっていました。

  1. 短い単語で経済的(economy)であること
  2. わかりやすいこと(transparency)
  3. キリスト教系の言葉だと教会でのみ使うなど、その言葉がどういう状況で使われるかをはっきりさせること(indexical grounding)
  4. 他の人にも魅力的に映るようにうつくしい言葉であること(beauty)だそうです。

また、マヤ語の場合、こういったキリスト教の語彙がたくさん入ったマヤ語(Maya Reducido)が、権威のある政府や教会で使われ、正統なものと考えられるようになり、「オリジナル」の言語とみなされるようになります。そして、その新しいマヤ語(Maya Reducido)がスペインの統治に対する反対運動に使われ、また、もともとのマヤ語を理解・解釈するための言葉としても使われていきます。

彼は「a design feature of language (p.21) (言語をデザインする機能)」や「at the heart of language as a social form, and society as the dynamic product of self-intepretation(p.33)(社会形態として言語の中心にあるもの、また、自己解釈のダイナミックな産物として社会の中心にあるもの」という言葉を使っていかに翻訳が言語を形作っているかを述べていました。

新語のところはとてもおもしろかったです。日本語も特に明治時代以降はたくさん新語ができたと思いますが、そのプロセスもどういうものだったか気になります。