「「異文化理解」のディスコース」読了。内容だけでなく論文の書き方の参考にもなりそうです。

馬渕(2002)の「「異文化理解」のディスコース」を読みました。オーストラリアのモナッシュ大学に提出した博士論文を日本語に書き直したものだそうです。読みやすいですが、学術論文なので一般向けではないのかなと思います。

  • 馬渕仁. 「異文化理解」 のディスコース: 文化本質主義の落とし穴. 京都大学学術出版会, 2002.

この本では人々が異文化理解についてどう語っているか(つまりディスコース)を分析していました。具体的にみていたのは、ディスコースを生産する立場にある政策担当者・研究者と、ディスコースを消費する立場にある海外のビジネスマン、学校教員、母親という2つのグループです。

結果としては、上記の両グループの海外・帰国子女教育や国際理解教育のディスコースには、多様な文化を尊重すべきなどという、「こうあるべし」という強い規範性があったといっていました。

また、このディスコースの特徴の1つとしては、社会の「統一性」と「多様性」という相反する価値観があたかも衝突せずに同時に追求可能なように言っていることが挙げられると言っていました。つまり「日本人性の確立」と「日本以外の国にあると想定されている普遍性への同調」が対立するのではなく、調和するような形でのべられていることが多かったといっています(p.292)

もう1つの特徴としては、文化本質主義、つまり、「各々文化は、その文化を表す純正な要素を持っており、他の文化との間に何らかの明確な境界をもっている」と捉える考え方(p.55)に基づく見解が多かったといっています。ただ、それに疑問を呈する人も一部いたようです。

読後の感想ですが、最近は文化の違いを前提とする「異文化」ではなくて「相互文化」「文化間」などと言う言葉をつかう動きもありますが、そういった言葉も境界線のある「文化」と「文化」が存在するという前提が見え隠れするので、文化本質主義的要素があるのかなと思いました。

また研究の手法ですが、この本ではどうしてこのグループ・文書等を選んだのかという点や自分の立場をかなり意識的に説明している印象を受けましたが、こういう研究をする場合は、範囲が莫大で、かつ、実際にできる範囲は限られているだけに、どうししてこの研究対象なのかという説明を加えるのはなかなか難しいなと思いました。