アイデンティティとSubjectivity(主観性)の違いについてのKramschの講演を視聴しました。

最近アイデンティティ研究ではSubjectivity(主観性)という言葉が使われていると書きましたが(こちら)、これに関係する動画があったので見てみました。

  • Kramsch, Claire (2011) identity vs subjectivity.


Kramschが2011年に行った講演の動画です。

ここでKramschは応用言語学研究におけるidentityとsubjectivity(主観性)の違いについてわかりやすく説明していました。

Kramschによると、この2つは元にある理論的背景が違うといい、研究者はidentityとsubjectivitiyは違うカテゴリーとして考えた方がいいとのことです。

応用言語学でIdentityを研究するときは、よく移民やマイノリティを対象にしていて、彼らのアイデンティティの変遷などがテーマになるそうです。例えば、ある移民が移民先の国でどのような体験をして、自分の考えや認識がどのように変わったかなどといった研究がこれに当たると思います。

Kramschによると、応用言語学のアイデンティティ研究はよく市民権や社会正義などと関連していることが多く(Norton 2000, Pavlenko 2005, Block 2007)、これは多文化共生(多様性)や政治参加などの言説(ディスコース)に連なるものだといっています。

それに対して、Subjectivity(主観性)はポスト構造主義やフェミニストの流れに基づくものだと言っています。(詳しくはこちら)。つまり、社会正義や市民権というよりも、言葉を介してどのように自己を構築しているのかという点に注目しています。

Kramschのsubjectivityの定義は以下のようなものです。

“Subjectivity is our conscious or unconscious sense of self as mediated through symbolic forms” (Kramsch 2009:18)

「言語をはじめとするSymbolic system(詳しくはこちら)を介してできる自己認識(自分が意識しているもの・意識していないものの両方を含む。)」とにでもなるでしょうか。

例えば、女らしく話している人は、意識しているか無意識かにかかわらず、言葉を介して「女」という自己を構築しているともいえます。

ルー大柴みたいに、「トゥデイはベリーホットなデイでしたね」と話すと(ルー大柴の場合は意図的だと思いますが)、言葉を介して、ある自己が作られていることになります。

こうやって言語を介してどのように自己が作られているかに注目しているのがsubjectivityで、これらはマイノリティの人々の権利や社会正義などと必ずしも結び付くわけではなく、アイデンティティ研究とはフォーカスが違うので別に考えたほうがいいとKramschは言っていました。

これを聞いていてちょっと疑問に思ったのが、subjectivityは「自己意識(sense of self)」だとして、でも、そのsubjectivityもsubjectivityを判断する相手(対話の相手や第三者)がいないと成り立たないわけで(特に無意識の自己意識の場合)、そこらへんはどういう風に議論されてるんだろうと思いました。

ちなみにこの講演の内容は最近出版されたばかりの以下の本のチャプターにもまとめられているようです。

  • Dervin, Fred, and Karen Risager. Researching identity and interculturality. Vol. 3. Routledge, 2014.