文化・リテラシー分野で有名なKramsch(2009)の「multilingual subject」を読みました。

Multilingual subject

Claire KramschのMultilingual Subject (2009)を読みました。Kramschはフランス出身、ドイツ語教師で(ドイツ語は母語ではない)、現在はカリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとっています。言語教育における文化教育などを専門にしています。

 

  • Kramsch, Claire J. The multilingual subject: What foreign language learners say about their experience and why it matters. Oxford University Press, 2009.

 

 

symbolic competence

彼女は2006年頃から「symbolic competence」というものを提唱していて、今まで「シンボリック能力?なんじゃそりゃ?」となんのことやらいまいち分からずにいたのですが、この本を読んで自分なりに分かってきた気がしました。

symbolicは「記号的」「象徴的」と辞書では訳されていますが、個人的には「シンボル的なもの」というふうに解釈するようにしています(シンボル的なものと言っても意味不明かもしれませんが・・)

 

Kramchの言語のとらえ方

symbolic competenceを理解するためには、まずKramschが言語をどうとらえているかを考えなければならないと思います。まず、彼女は言語は2つのレベルで「symbolic forms」であるといっています。

①1つ目は、言語を通して私達は現実について話したりするけれども、言語と現実の間の関係性は恣意的でシンボル的であるという点。

例えば、現実に存在する「木」と、日本語の「木」や英語の「tree」などの言語の関係は別に必然的なものではない。

つまり、赤信号の「赤」が「とまれ」という意味のシンボルとして使われるのと同じように、日本語の「木」や英語の「tree」は現実の「木」ではなくて、現実の「木」を指し示すシンボルとして使われているということです。

彼女はこの言語の働きを「客観的な現実(objective realities)」を表現する役割といっています。(p.7)

次からがおもしろいなと思うところなのですが、彼女はさらに次のようにいっています。

②さらに、言語は「客観的な現実」を表すだけでなくて、態度や価値観、感情などの「主観的な現実(subjective realities)」も作り出すという点でシンボル的なものである。

例えば、「フランス」と言った場合に、「フランス」という客観的な国家主体だけではなくて、「赤ワイン」や「エッフェル塔」「グルメ」「上品」「おしゃれ」(注:私の意見ではありません)といった主観的な様々な感情や価値観を生み出すということです。つまり、言語は様々な主観的な感情を呼び起こすシンボルでもあるのです。

このように、言葉そのものの意味を超えた、上記の②の言語の役割については、現在の言語教育ではあまり重点が置かれておらず、言語教育は主に上記の①の言語の「客観的な現実」を表す役割に基づくものだ、と彼女は言っています。

最初に述べた「symbolic competence」というのは、ざっくりいうと、学習者が、①の言語の役割だけでなく、②の言語の役割も含めた、言語を使いこなす力、ということになるのかと思います。

(ざっくりすぎますが、ちょっと疲れてきたのでこの辺で終わります。)