Language socialization(言語社会化)の第一人者のOchs (1996)の論文を読みました①

Ochsについて

この本の中のElinor Ochs(1996)の「Linguistic resources for socializing humanity」のチャプターを読みました。(p. 407–437)

 

  • Ochs, Elinor. Linguistic Resources for Socializing Humanity.” Rethinking Linguistic Relativity, ed. by J. J. Gumperz and S. C. Levinson, 407–437.

Ochsは有名な言語人類学者で、Language Socialization(言語社会化)の分野の第一人者です。

 

言語社会化(language socialization)とは

Language socializationとは、子供や(何かの分野の)初心者は、日常の言語使用を通して、親やエキスパートから、その社会で生活するのに必要な知識や価値観などを見につけ、社会に適応していく(社会化していく)という考えかたです。

Language socializationの研究は、言語を通してその社会化がどう行われているか、その過程に注目します。なので、Language socialization関係の論文とかはだいたい長期的に1つのコミュニティや家族、教室に密着して、そこで行われている日常の会話を録音・録画し、毎日の日常のさりげない会話が、長期的にどう子どもや初級学習者の社会化を促しているかなどを調査していることが多いように思います。

 

The indexicality principle

そこで必要となるのが、日常の言語使用を分析するツールのようなものなのですが、このチャプターでは、その日常の言語使用を読み解くカギとなる3つの原則について述べています。

 

まず、言語のindexicality(指標性)。Indexicalityは日本語では捉えづらいと思うのですが、要するに「ある文法や、アクセント、単語などを使うこと自体が、いろいろなことを示しているんだよ」という意味だと理解しています。例えば、尊敬する人に対して、敬語を使って話すと、「私はあなたのこと尊敬しています」と言わなくても、敬語使用そのものが、自分のその尊敬する人に対する「尊敬」の気持ちや、尊敬する人と自分との役割関係を指し示すということになります。

Ochsによると、言語のindexicality(指標性)は多岐にわたり、ある単語や文法を使うことで、あえて言わなくても、場所や時間、social identities (社会的アイデンティティ)、social act(社会的行為)、affective stance(情意的立場)、epistemic stance(認識的立場)などを指し示すことができると言っています

indexicalityの例についてはこちらをご覧ください。

 

Universal culture principle

Ochsは、こういった言語のindexicalityは世界共通で「universal culture principle」だと言っています。

また、ある立場と社会的行動については、どの社会にも似たようなカテゴリーがあると言っています。例えば、認識的立場については、自分の認識の確かさの度合(「たぶん、絶対、おそらく等」)、自分の経験したもの・他人から聞いたものなどの区別などといったカテゴリーがどの言語にも見られ、社会的行動も、要求、謝罪、挨拶などのカテゴリーはどの言語にも見られる、という点で普遍的だと言っています。

さらに、ある立場は、ある社会的行動と結びつきやすい(valences)という点も普遍的だといっています。例えば、「質問」という社会的行動には「不確かさ」という認識的立場、「拒否」という社会的行動には「ネガティブ」な情意的立場が伴いやすいことは普遍的だと言っています。

 

Local culture principle

彼女は3つ目の原則としてLocal culture principleを上げており、このように普遍性もあるけれども、(1)立場や行動がどのような場面等で使われるかの範囲(scope)、(2) ある場面等でどのような立場・社会的行動が好まれるかの preference (好み)、(3) ある場面等である立場や行動が出てくる度合(extent)は、まちまちで、これは普遍的でないといっています。

Language socializationでindexicalityのことが議論されていることを知らなかったので、なかなかおもしろかったです。

Ochの原則は分析するときなどに便利そうではあります。ただ、Language socializationの枠組みは、「ある社会的グループが存在する」という前提に立たないと始まらないのかなと思うので、ポストモダン的な考え方、つまり「文化は言説で作られてる」とか「文化は多様でダイナミック」などの考え方に対してはどう対応するんだろう??と疑問に思いました。