CanagarajahのTranslanguagingの理論・実践上の課題を提起した論文を読みました。

論文の概要

Canagarajahについてはこのブログでも何度か紹介していますが、そのCanagarajahのTranslanguagingについての論文を読みました。

  • Canagarajah, Suresh. “Translanguaging in the classroom: Emerging issues for research and pedagogy.” Applied linguistics review 2.1 (2011): 1-28.

この論文では、最初に今までのTranslanguagingの先行研究を概観し、その理論・実践上の課題を述べていました。その後、クラス内でのTranslanguagingの教授法に関する課題を述べた後に、例として自分のライティングのクラスのデータを提示していました。

ちなみにTranslanguagingについてはこちらをご覧ください。

最近よく聞くTranslanguagingについて調べてみました。

 

Translanguagingの理論・先行研究上の問題点・課題

いくつか述べていましたが、気になったところだけ記載しておきます。

  • Translanguagingについて話すときに、「monolingual」と「multilingual」を二分法にして考えているが、monolingualというものが本当に現実に存在するのかなどを考える必要があるといっていました(p.4)。「言語」の境目もあいまいですし、誰もが多少は他の言語について知っていたり、方言を話せたりするので、純粋に「monolingual」の人なんているのかということだと思います。
  • Translanguagingは、ポストモダンで都市の現象だと思われがちなことも指摘していました。Canagarajahは、Translanguagingはどこにでも起こりうることだし、過去にも行われていたといっていました。
  • Translanguagingの先行研究では、Translanguagingをしたことによって実際にはどういった「差異」が生まれたかという点に着目しており(例えば、共通語で話しているときに、方言を混ぜて話して、アイデンティティを出すなど)、その差異を使ったことによってどのような変化があったのか、相手はどう反応したのか、その意味を構築するプロセスについてはあまり着目していないと指摘していました。

 

Translanguagingを教える上での問題点・課題

これについてもいくつか気になった点を述べておきます。

  • Translanguagingの教授法についての文献は少ないようです。
  • 教室内のTranslanguagingの研究については、教師が意図的に「教えた」というものより、多言語話者の学生の中で自然に出てきたものを観察するものが多いようです。ということは、translanguagingは教える必要があるのか、教えなくても多言語話者だと自然に身についているものではないかという疑問も出てくると指摘していました。
Translanguagingについての文献

Translanguagingと教育に関しては以下のような本もあるようです。

  • Paulsrud, BethAnne, et al., eds. New Perspectives on Translanguaging and Education. Multilingual Matters, 2017.

 

  • Mazak, Catherine M., and Kevin S. Carroll, eds. Translanguaging in higher education: Beyond monolingual ideologies. Vol. 104. Multilingual Matters, 2016.