この記事では、言語権(language rights)について、(1) どういう権利なのか、(2) 個人的権利と集団的権利の違い、(3) 国際法の中で言語権がどう発展してきたかについて整理します。
言語権とは?
言語権(language rights)は、簡単にいえば自己が自ら望む言語を使うことができる権利です。「話したい言語で話せること」を、単なる好みや便宜ではなく権利として捉えるところに、この概念の要点があります。
言語権は linguistic human rights(言語的人権)とも呼ばれ、基本的人権の一つとして位置づけられてきました。ただし厳密には、この二つは完全な同義語ではありません。
Skutnabb-Kangas(2013)は、まず言語権を「all rights related to the learning and use of languages(言語の学習と使用に関わるあらゆる権利)」と広くとったうえで、言語に関わるさまざまな権利のうち、それが侵害されれば人としての尊厳が損なわれるような中核部分を「言語的人権」と呼んで区別しています(拙訳)
But only those language-related rights are linguistic human rights (LHRs) that are so basic that every human being is entitled to them because of being human. They are as necessary to satisfying people’s basic needs as food and shelter are; they are necessary to live a dignified life. They are so fundamental that no state (or individual or group) is supposed to violate them. LHRs combine some LRs with human rights.
しかし、言語に関わる権利のうち言語的人権と呼べるのは、人間であるというだけで誰もが当然に有するといえるほど基本的なもの、それだけである。それらは、食べ物や住まいと同じように、人の基本的な必要を満たすうえで欠かせないものであり、尊厳ある生を送るために必要なものである。いかなる国家も、また個人も集団も、侵してはならないとされるほど根本的なものである。言語的人権とは、言語権の一部と人権とが結びついたものである。
食べ物や住まいと同じくらい基本的で、いかなる国家も個人も集団も侵してはならないもの、そこまでのものだけが言語的人権だ、という区別です。
個人的権利と集団的権利の違い
言語権には、個人的権利と集団的権利の二つの側面があります。
個人的権利
個人的権利というのは、個人が私的な空間で、使用したい言語を使用することを妨げられない権利です。
例えば、以下のような例があります。
- どの言語で子どもに名前をつけるか。自分の名前をどう表記し、どう発音してもらうかを自分で決められる。
- 家庭内で何語を話すか。友人どうし、地域の集まりで何語を使うかを決められる。
- 民族学校・外国人学校・インターナショナルスクールが、何語で教育するかを自ら決められる。
個人的権利は比較的合意が得やすいものです。
集団的権利
集団的権利というのは、社会の中で自己の言語を使用する環境を国家が整えることを要求する権利です。
例えば以下のような例があります。
- 行政の窓口対応・申請書類・広報・防災情報が多言語化される
- 公立学校で少数言語による教育が受けられる
- 少数言語のメディアが支援される
- 裁判・取調べ・診療の場面で、公費による通訳が保障される
個人的権利は「放っておいてもらう」ことで実現する権利ですが、集団的権利は予算と制度がなければ実現しない権利です。集団的権利をどこまで認めるかは各国で争点になります。
集団的権利のなかでも比較的保障されやすいのは、その地域の「公用語」や多数派言語を学ぶ機会の保障です。
一方、少数者言語のほうを行政で使用し、その使用を積極的に援助する義務まで国家に負わせるかどうかは、国によって対応が大きく分かれます。
二つが衝突するとき
個人的権利と集団的権利は衝突することがあります。
ある少数集団の言語を守るために、その言語の使用を制度化するとします。これは集団的権利の保障ですが、同時に、その集団に属する個人に対して「その言語を使うこと」を事実上強いることにもなりえます。
この二つが衝突した事例がカナダ・ケベック州です。ケベック州はフランス語を守るため、商業看板や企業名での英語使用を制限しました。集団的権利の保障として設計された施策です。
しかし、1993年、国連の自由権規約委員会はBallantyne他 v. Canada事件で、この制限が自由権規約第19条(表現の自由)に違反すると判断しました。公的場面で公用語を定めること自体は認められるが、私的・商業的な場面の言語選択まで制限することはできない、という理由でした。
申立人は第27条(少数民族の言語使用の権利)も援用しましたが、委員会はカナダ全体で見れば英語話者は少数者ではないとしてこれを認めませんでした。
言語権を考えるときは、「少数言語を守ればよい」という単純な図式では足りず、集団を守ることと、集団のなかの個人を守ることの両方を視野に入れる必要があります。
国際法の中での言語権の発展
出発点:第一次世界大戦後の少数者保護
言語権の出発点は、第一次世界大戦後の東ヨーロッパにあるといわれています。帝国が解体して新しい国家が生まれるなかで、国境線と民族分布がずれ、どの国にも言語的少数派が残りました。
そこでパリ講和会議において、主要連合国(アメリカ・イギリス帝国・フランス・イタリア・日本)と各国とのあいだで、言語的少数派を保護する義務を課す条約が結ばれます。その最初のものが、ヴェルサイユ条約と同じ1919年6月28日に署名されたポーランドマイノリティ条約(Polish Minority Treaty)で、以後の少数民族保護条約のひな型になりました。
この条約の第7条では私的な交際・商業・宗教・出版・集会での言語使用を制限しないこと、第8条では少数者が自らの費用で学校を設立し自らの言語を使う権利を定めています。
第9条では、少数言語話者がかなりの割合を占める地域で初等教育をその言語で行い、公費を公平に配分するという積極的な義務も示されています。
国連憲章(1945):普遍的な原則へ
第二次世界大戦後には、1945年の国際連合憲章で初めて平等条項の差別禁止項目の1つとして「言語」が列挙されました(下線を付記)。
第55条
人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の平和的且つ友好的関係に必要な安定及び福祉の条件を創造するために、国際連合は、次のことを促進しなければならない。
- 一層高い生活水準、完全雇用並びに経済的及び社会的の進歩及び発展の条件
- 経済的、社会的及び保健的国際問題と関係国際問題の解決並びに文化的及び教育的国際協力
- 人種、性、言語又は宗教による差別のないすべての者のための人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守
同じ「人種、性、言語又は宗教による差別」という定型句は、第1条3項などにも登場します。特定の国の義務ではなく、すべての国に共通する原則として言語が書き込まれた点が重要です。
人権条約を通じた具体化
その後、さまざまな人権条約を通じて言語権の中身が具体化・細分化されていきます。
| 文書 | 採択年 | 言語に関する主な規定 |
|---|---|---|
| 世界人権宣言 | 1948 | 第2条:言語による差別の禁止 |
| 社会権規約(国際人権A規約) | 1966 | 第2条2項:言語による差別の禁止/教育・文化的生活への参加 |
| 自由権規約(国際人権B規約) | 1966 | 第27条:少数民族の言語使用の権利/第14条3項:刑事手続での通訳を受ける権利 |
| 児童の権利条約 | 1989 | 第29条・第30条:児童の言語・文化的同一性の尊重 |
| 少数者の権利宣言 (民族的又は種族的、宗教的及び言語的少数者に属する者の権利に関する宣言) | 1992 | 第2条・第4条:少数者言語の使用・学習の権利 |
また、移民や先住民族に関する条約でも言語権は具体化されてきました(教育における差別を禁止する条約(ユネスコ、1960年)、移民労働者(補足規定)条約(ILO第143号条約、1975年)、原住民及び種族民条約(ILO第169号条約、1989年)、すべての移住労働者とその家族の権利保護に関する条約(1990年)など)。
世界言語権宣言(1996)
言語権を正面から掲げた文書としては、1996年にバルセロナで採択された世界言語権宣言(Universal Declaration of Linguistic Rights)があります。
国際ペンクラブなどが中心となったもので、ユネスコが正式に採択したわけではなく、法的拘束力もありません。
特徴は「言語共同体(language communities)」を権利の主体に据え、すべての言語共同体の権利は平等であることを定めていることです(第5条)。
また、第3条では、個人的権利と集団的権利を条文で書き分けているのも特徴です。
第3条1項は「いかなる状況でも行使できる、譲り渡せない個人的権利」として、言語共同体の一員として認められる権利、私的にも公的にも自分の言語を使う権利、自分の名前を使う権利、出身共同体の他の成員と交わる権利、自分の文化を維持し発展させる権利の5つを挙げています。
第3条2項は「言語集団の集団的権利」として、自らの言語と文化が教えられること、文化的サービスへのアクセス、メディアにおける公平な存在、行政や社会経済関係において自らの言語で対応を受けること、の4つを挙げています。
まとめ
本記事では、言語権(language rights)について、(1) どういう権利なのか、(2) 個人的権利と集団的権利の違い、(3) 国際法の中で言語権がどう発展してきたかについて紹介しました。以下はまとめです。
- 言語権とは、自己が自ら望む言語を使うことができる権利である。
- 個人的権利と集団的権利の二側面があり、ときに衝突する。
- 第一次大戦後のポーランドマイノリティ条約に始まり、国連憲章(1945)で普遍的な原則となり、自由権規約第27条などで具体化されてきた。
言語権についてご興味のある方は以下の書籍があります。
言語権について、ことばの教育と結び付けつつ、まとめてくれています。
言語権をナショナリズム論・エスニシティ論のなかに位置づけて論じているので、「なぜ言語が権利の問題になるのか」から理解できます。
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参考文献
- 杉本篤史(2019)「日本の国内法制と言語権―国際法上の言語権概念を国内法へ受容するための条件と課題」社会言語科学22(1), pp.47-60.
- 杉本篤史(2022)「第4章言語権の視点からことばの教育を再考する」稲垣みどり, 細川英雄(編)『共生社会のためのことばの教育 自由・幸福・対話・市民性』, 明石書店. pp.110-140.
- Skutnabb-Kangas, T., & Phillipson, R. (Eds.) (1994). Linguistic Human Rights: Overcoming Linguistic Discrimination. Mouton de Gruyter.
- Skutnabb-Kangas, T. (2013). Linguistic human rights. In C. A. Chapelle (Ed.), The Encyclopedia of Applied Linguistics. Wiley-Blackwell. https://doi.org/10.1002/9781405198431.wbeal0717


