Kramschの講演を視聴。コンピューターはただのツールではなく、私達の在り方を変えるものといっていました。

Kramsch (2012)のAuthorial Intent and Cultural Authenticity in L2 CMCがアップされていたので見てみました。

  • Kramsch, C. (2012). Authorial Intent and Cultural Authenticity in L2 CMC

内容はmultilingual subjectという本のチャプターと似ている内容で、コンピューターを通してコミュニケーションすることはどういうことなのかということを話していました。

  • Kramsch, Claire J. The multilingual subject: What foreign language learners say about their experience and why it matters. Oxford University Press, 2009.

この動画では、Kramschは「自分の日記を親と友達に毎日おくって、フィードバックをもらっていた」という彼女自身の学生の話を引き合いに出して、書くという行為やコミュニケーションがコンピューターにより、どう変わったのかを説明していました。

まず、Graddol (1994)を引用して、言語の捉え方を以下の3つに分けて説明していました。

①構造主義的モデル-書き物や出版物中心

単語の文字通りの意味(referential meaning)に注目し、情報の伝達に重きが置かれ、ネイティブスピーカーのモデルが規範になっています。日記というのは、唯一自分をさらけ出せる安全な場所になります。

②社会モデル-口頭コミュニケーション中心

言語というのは社会状況とは切り離せないもので、言葉の意味というのも、言語を使う目的や使う場所によってかわってきます。言語は社会的コミュニケーションをするツールで、言語を使って新しい自己を構築していきます。

③ポストモダンモデル-メディアテキスト中心

テキストというのは、たくさんの人が構築した記号システムを組み合わせたものであり、コミュニケーションというのは、自分の声を聴いてもらおうと戦う場(site of struggle)になります。同じテキストの中にいろいろな人の声が入っていて、著者(author)は誰なのか、テキストの真正性(authenticity)とは何なのかという点も問題になってきます。たとえば、私は今ブログを書いていますが、このブログもKramschの声、Graddolの声、そして私は日本語を発明したわけでないので、日本語の表現一つ一つに日本語を今まで使ってきた人の声が入っているということだと思います。

次に、Kramschは、コンピューターというのは中立なもの、つまりコンピューターはただのツールではなくて、コンピューターは私達の考え方や私達の伝え方、私達の在り方までをも変化させるものだと言っています。コンピューターにより匿名の自己を構築したりするのがその例だと思います。

Kramschはその例として、ボブとマリーというアメリカ人とドイツ人の2人の学生のメールのやりとりを紹介していました。この2人の間には歴史の話などを通して誤解が生まれるのですが、いかに「著者であるボブ/マリー」「ナレーターであるボブ/マリー」「オンラインのときのボブ/マリー」がそれぞれ違う自己であるかを分析していました。

Kramschによると、ボブとマリーの間に生まれたような誤解は現在の世界では不可避なもので、誤解を防ごうとするのではなく、こういう誤解を学習の場にすることが必要なのではと言っていました。また、こういったコミュニケーションでは、情報を伝えるというより、自分の声を聴いてもらおう、自分を見てもらおう(visibility)というほうが大切になってくるのではという話でした。(といいつつ、最後の部分は、別のことをしながら聞いていたので、ちょっと曖昧です)。