ロランバルト「Mythologies(神話)」一部読了。言葉は文字通りの意味を超えた意味を持つ、というのはその通りだと思います。

ローラン・バルト(Barthes) (1957)の「Mythologies」の「Le Mythe Aujourd’hui」(今日の神話)の章を少しだけ読みました。

  • Barthes, Roland. “Mythologies, Paris, Seuil.” Coll.«Points» (1957).
日本語訳も出ています。
  • ロラン・バルト『現代社会の神話―1957』(ロラン・バルト著作集 3)、下澤和 義訳、みすず書房、2005.
ここでは、バルトは、言葉、写真、映画、書き物などが、これらが人口に膾炙する過程で、その文字通りの意味を超えた「神話」を持つと言っています。バルトのいう「神話」の意味は、ある時代のイデオロギーに近いもののようです。

バルトが例に挙げていたのが、バラの例で、バラという植物(シニフィエ)を指す言葉として「バラ」という言葉(シニフィアン)が存在しますが[レベル1]、その「バラ」という言葉自体が、「情熱」という意味を指すこともあります[レベル2]。

この[レベル2]のことをバルトは「神話」のレベルと言っていました。

もう一つの例は、バルトが学生時代にまなんだラテン語の文法本の例です。この中に「quia ego nominor leo(なぜなら私の名前はライオンだからだ)」という文があったそうなのですが、これは、ただ「私の名前はライオンだからだ」という文字通りの意味だけでなく[レベル1]、「文法規則を示すための文法の例だ」という意味[レベル2]も指していたと言っています。

別の例は、パリマッチ誌の表紙のフランス国旗に敬礼していると思われる黒人兵士の写真です。バルトによると、この写真も、「偉大なフランス国家」という神話的な意味[レベル2]を指すと言っていました。

バルトは、こういったレベル1とレベル2の違いを分析するため、用語もかえて説明しています。

「バラ」「なぜなら私はライオンだからだ」という言葉・文や「黒人兵士が敬礼している」というような意味を指し示すもの(シニフィアン)を、レベル1では「意味(sens)」、神話レベルのレベル2では「形式(forme)」と呼んでいます。

また、実際のバラや写真(シニフィエ)のことを「概念(concept)」と呼んでいます。

また、このシニフィアンとシニフィエの関係性をレベル1では記号(signe)、レベル2では意味作用(signification)と呼んでいます。

おもしろそうなので続きもまたゆっくり読んでみようと思います。